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PNR(フィリピン国鉄)近況報告

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1月12日報告の記事以来のブログ更新になってしまい、今回、中京地区で活躍する117系について述べる予定でしたが、2月3日から8日までの6日間、フィリピン、マニラへ行って参りましたので、その報告からさせていただきたいと思います。
とは言っても、今回の訪比は鉄道目的でありませんので、あまりご報告できることはありませんが、PNR(フィリピン国鉄)本社へ訪問することができましたので、担当者とのやりとりと私なりに見て感じたことだけをご報告いたします。


まずはTutuban〜Alabang間のコミュータートレインの近況についてですが、韓国ロテム製DMUの車両が不調ないせいか、国鉄色とブルートレイン色の2編成のキハ52が毎日運用されているようです。
キハ52専用の運用はあるようですが、日によって変更もありますので、運用や時刻については駅や本社で確認が必要です。
なお編成については以下のとおりです。
←Tutuban Alabang→
キハ52-122+キハ52-127+キハ52-137(国鉄色)
キハ52-121+キハ52-120+キハ52-102(ブルートレイン色)


前回9月の訪比時には運用されている様子がなかったブルートレイン色のキハ52は、毎日確認を行っておりませんが、4日と7日に運用している姿を確認しています。


また、部品取りとして供給された新潟色のキハ52-123は昨年9月と同様な位置に留置され続け、前回とあまり変わりがないようです。


続いて、Tutuban〜Biñan間のCommexについては依然として203系4連が使用され続けておりますが、Tutuban〜Alabang間のコミューターには以前と比べてあまり充当されなくなったようです。4日は修繕庫でお休みで日中駆り出されることはありませんでした。
編成については以下のとおりです。
←Tutuban Alabang→
M203-10+M'202-7+M203-11+Tc203-107


また、他の203系の整備状況ですが、転入整備が途中で止まってしまったのかエメグリ帯の車両も存在しており、自国の会社で組み立てられる5台分の発電機は本来昨年の12月にPNRに納入される予定でしたが、現在も納入されていないとのことで、納入が遅れているようです。到着しだい搭載工事にかかるものと思われ、整備後はTutuban〜Calamba間に充当され、この区間に1日4往復の列車が設定され、同時にAlabang〜Calamba間のホーム嵩上げや新駅設置の予定が行われるようです。(時期は未定)


続いて、Manila〜Bicol間の長距離輸送について、簡単に報告いたします。
現在もこの区間の列車は運行されていませんが、昨年、Lucena付近で発生した橋崩落により不通となった状況ですが、ようやく仮の橋が完成したようで、8日にManilaからBicol地方へ試運転列車を走らせたようです。(4日に予定していた試運転が8日に延期)
今後の本格的な営業については来月3月を目処に運行が再開されるとのことで、まずはTutuban〜Naga間にBicol Exp.を運行再開させるようです。
Lucena付近での橋崩落により損傷を受けたと思われるCar1はブルートレインカラーに塗り替えられ、もう1両の14系寝台車も綺麗にブルートレインカラーに塗り替えられていました。


おそらく、遅くとも稼ぎ時のホリーウィーク(今年は3月下旬)までには運行が再開されるのではないかと思われますが、キハ59(こがね)も以前と同様にIsarog Exp.として運行され、状況によっては本来の終点駅であるLegazpiまで長距離列車が運行される可能性もありえます。
と言うのは今まで不通になっていましたLigao〜Legazpi間に数ヶ月前にキハ59を使用して入線させ、テストランを行ったようで問題はありませんが、ただしこの区間の軌道状況は25k/m以下制限でないと危険であるということをPNR担当者が述べておりました。
その他、Sipocot〜Naga間のコミュータートレインは1日2往復運行されているようですが、Naga〜Ligao間については平日、休日ともに運行されていないとのことです。(以前は休日のみ運行)

今のところ出番のないキハ59(こがね)もManila〜Bicol間の運行再開時には運行される可能性があります。


以上、簡単に報告いたしましたが、4月にも訪比を考えておりますので、もし時間がありましたら、PNR本社訪問ならびに乗車を試みたいと思っております。

PNR(フィリピン国鉄)乗車にチャレンジ

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帰国日前日の7日夕方、少々時間が取れましたので、フィリピン国鉄(PNR)に乗車してみようということで、ビジネスエリアのMakatiに近いBuendia駅まで来てみました。
ここからTutuban行きの列車に乗車し、TutubanからBiñan行き203系Commexに乗車して、再びこの駅に戻ってくることを目論んでいたのですが、この目論みがうまくいきませんでした。

切符を購入しホームで待っていると定刻より約15分遅れて国鉄色のキハ52、3連がやって来ました。切符を購入した時点でキハ52が来るのはわかっていたのですが、下の写真のとおり車内は満員状態であり、乗り降りも日本のように「降りる人は先、乗る人は次」というようなルールがありませんので、乗る人、降りる人が狭い扉付近で圧し合い状態になり、乗降がスムーズにできません。しかもちょっと乗るチャンスを逸すると扉付近は人だかりであり、これ以上乗車することは不可能です。


駅のアナウンスでは次の列車はすぐ来ますというので乗車を諦め、次の列車を待つことにしました。次の列車が定刻で走っているのかと思いきや30分程度待たされた挙げ句、次に来た列車はブルートレインカラーのキハ52、3連でした。この列車も先程の列車と同様にほぼ満員状態であり、とても乗車できるような状況ではありません。


結局、この列車に乗車することもできず、Biñan行きの203系が既にこの駅に到着する時間が近づいていることから、Tutuban方面の列車に乗車することを諦め、そのBiñan行き203系で2つ先のEdsaまで乗車することにしました。反対側のホームへ渡り、5分程待っていると203系が到着しました。この列車もほぼ満員状態で到着しましたが、降車がかなり多いためか何とか乗り込むことができました。次のPasay Roadでも少々乗車が見られ、車内は東京のラッシュアワーと変わらない混雑状態になりました。Buendia駅から5分程でEdasa駅に到着し、無事に乗車することはできたのですが、本来目論んでいたTutubanで折り返して乗車を楽しむということはできず、203系にたった5分乗車という結果になってしまい、気持ち的には不完全燃焼となってしまいました。


下の写真はBuendia駅に到着早々、Alabang行きのRotem製DMUがやって来たのですが、乗務員室から「井上さん」と声をかけられ、思わずこちらも手を振ったのですが、相手がだれだったのか思い出せません。


それから前回の続きでお伝えできませんでしたが、CaloocanからTutubanもしくはBlumentrittまでの開業予定は年内を予定しているとのことで、運行に際し、CaloocoanからAlabang方面との運行を予定しているとのことです。

最後に2012年12月の鉄道ピクトリアルにおいて、斎藤幹雄氏のフィリピン国鉄の記事がありますが、P.109、右列6行目に203系の運転区間が「10月1日ダイヤ改正で晴れてアラバン延伸となった。」と記述されております。これについては私自身が9月29日にTutuban〜Alabangのコミューター運用に203系が充当されていることを確認しておりますし、この改正においてはTutuban〜Alabang間の時刻の変更等はいっさいないものと思われます。(2012年3月4日改正時のものを引き続き踏襲)

南武線近況報告

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昨年の6月以来、南武線近況報告がご無沙汰になってしまいましたが、皆さんもご存知の中原区の縁の下の力持ちであったクモヤ君が先日12日に廃車回送され、静かに消えていきましたので、その話題と近況報告ということで簡単に述べていきたいと思います。

まずは毎年恒例となっている修学旅行列車が昨年の10〜12月にかけて運行されました。
この列車に抜擢なれたのはいつものとおりマリのあずさ色183系6両編成であり、中原出区直後に中原入区の車両とのツーショットが連日見られました。


南武線内において、この修学旅行列車を順光で撮影することは困難であり、できれば明るい曇り空のほうが適しています。


続いて11月18日に特急色のOM102編成が、南武線内を団体列車として運行されました。
いったいどことどこの間を走ったのか忘れてしまいましたが、南武線内ではあずさ色に比べて特急色のほうがインパクトがあります。


それから1986年(昭和61年)3月にクモヤ90とバトンタッチする形でほぼ同時期にクモヤ145-110(5年後小山区に転出)と一緒に配属されたリモコンで動くクモヤ145-116が遂に廃車回送されてしまいました。実に27年間も在籍し、中原区にかつて在籍していた101系や103系よりも長い間働き続けたのですが、一般の人にとっては見向きもしない車両であり、中原区ではいつも夢庵の脇で静かに留置されていました。
中原区の社員が列車番号をいじったのか、休車していた先月は立川方が「39145」(サンキュー145)、川崎方が「5963」(ご苦労さん)となっていました。


廃車回送日の2月12日、中原区のことですから旅発つ前に何か労ってくれるのではないかと期待してみるとささやかでありますが、花飾りが貫通扉の中央に取り付けられていました。


101系や103系が在籍していた頃からもそうなのですが、墓場前の車両が走る南武線と言われようとも中原区の検修の方々は熱心に車両のメンテナンスを行っており、車両に対して非常に愛着心を持っていることが伝わってきます。


中原出庫直前に花飾りも剥がされてしまったようですが、武蔵中原駅では平日にもかかわらず大勢のギャラリーがシャッターを切っていました。(私もその1人ですが)


最後に本日久しぶりに南武線ウォッチングを行いましたが、マリのあずさ色183系が南武線内に団体列車として運行されました。「高津歩こう会」の団体による列車のようで御殿場線の下曽我まで運転されたようです。


クモヤ145が去ってしまい、また話題が1つ消えてしまいましたが、今後も時間があるかぎり南武線ウォッチングを行い、南武線の近況報告や101系・103系在籍時の話題も提供していきたいと思っております。

PNR(フィリピン国鉄)近況報告

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今年の2月中旬以来、ブログの更新を行っておりませんでしたが、今まで仕事と個人的なことで忙しくブログの更新ができず、いつもご覧いただいている方々には大変申し訳ございませんでした。とにもかくにも忙しさもようやく収まりつつありますので、時間のある時にはできるだけ新たな話題の提供を行っていきたいと考えております。
忙しい状況とはいえども少ない時間の中で地方へ出かけたりしていますので、そのような話題を提供してもよいのですが、国内の話題や情報は検索すれば情報が得やすいので、まずは先日4月4日から9日にかけてフィリピンを訪問しましたので、PNR(フィリピン国鉄)の話題を提供していきたいと思います。
今回の訪比にあたっては人生最大のイベントである挙式をあげるために行きましたので、趣味に費やす時間はほとんどありませんでしたが、だれしもがそうであるように家庭を持つことになったとしても趣味を急にやめることをほとんどの人はできないかと思いますので、私も少ない時間の中で今回もPNRの乗車&撮影、ならびにPNR本社訪問を行ってきました。
実際にPNR本社訪問で30分ほど各担当者との会談、10分ばかりほどの時間でTutuban駅構内での撮影、そしてTutuban〜Edsa間の乗車と慌ただしい状況でしたので、詳しいことについてはわからないことがありますが、簡単にご報告させていただきたいと思います。

まずはAlabang〜Calambaの各駅でホーム嵩上工事が行われているようで、今年6月に完成させる予定です。完成の曉には現在運行されているCommexは終点BiñanからCalambaの先のフィリピン大学(UP)農学部があるLos Bañosに発着駅が変更され、列車の増発も行われるようです。(ただし増発は朝夕のみの運転で日中は列車が運転されないようです)おそらく203系が充当され、1日の運行本数が2往復程度になる予定のようです。


上と下の写真ともにSan Pedro駅の嵩上工事の様子で、このホームは従来の駅舎のある北側(Tutuban寄り)約200mのところに設置され、ホームの長さは120mとのことです。120mは現在運行されている韓国ロテム製DMU3両編成2本分がかろうじて使用でき、203系4両+DL1両については問題なく使用できる長さです。現在のところ従来の駅舎のある場所で発着していますが、6月の完成時にはこちらのホームが使用される予定です。


続いて車両や列車についてですが、まずは203系について報告します。
203系は発電機が新たに取り付けられ、計5〜6本程度の編成が整備されています。韓国ロテム製のDMUは現在4編成が稼働できるものの相変わらず2編成は使用できませんので、足りない分については203系で運用を補っているようです。
今年末までに203系計8編成が整備される予定であり、マニラ首都圏のみで使用が予定されています。
下の写真は1編成目が日中のTutuban〜Alabang間のコミューター運用に充当されている様子で、Tutuban〜Biñan間のCommexにも充当されています。編成はAlabang寄りからTc203-107+M203-11+M'202-7+T203-9です。



下の写真は2編成目の203系であり、編成はAlabang寄りからT'c202-4+M'202-11+M203-7+M'202-12です。


行先表示のところに編成番号が示され、最後尾の妻面にも「02」と書かれていたかと思います。現在、新たに2本分の編成に発電機の搭載工事を行っているようです。


02編成の発電機は車両の前位に設置されており、こちらのほうが利用者にとっては都合の良い形となります。発電機の音まで聞いていませんので、どのくらいうるさいのかわかりませんが、出力は210KVAらしいです。


Tutuban〜Bicol間の長距離列車については、3月20日頃から4月上旬にかけてLegazpiまで入線試験を行っていたようですので、運転再開は間もなくかと思っていましたが、運輸通信省からの運転再開の許可がおりず予定がわかりません。運転再開の時点でBicol ExpressはTutubanからLegazpiまで運行されるようで、途中Nagaで増解結が行われるようです。また、こがねについてもNagaまで日中に運転されるようで、塗装をブルートレイン色に変更する予定とのことです。
また、大部分の14系寝台車はきれいにブルートレイン色に再度塗装され、帯がオレンジ色に変更されています。


この他、キハ52については、今後、国鉄色はSipocot〜Naga間2往復のコミューターとして、ブルートレイン色のほうはNaga〜Legazpi間1往復のコミューターとして運用されるようですが、Bicol地方に配備されることからキハ52の撮影を目的とする方は大変かもしれません。ただMayon火山とキハ52は絵になるかと思いますので、Legazpi開通時にはBicol Expressも含めて私も撮影してみたいと思っております。

以上、これ以上詳細についてはわかりませんが、子供の産まれる6月頃にでも再び訪比する予定ですので、次回も時間の許すかぎり調べてみたいと思っております。

103系などを求めて大阪へ

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先日、フィリピン国鉄(PNR)の話題について述べましたが、今回の訪比ではPNRについて調査などする時間があまりにも少なく、ご報告できることはありませんので、本日から国内の話題を簡単にご紹介したいと思います。国内の話題と言っても私の場合は趣味が偏っていますので、南武線かJRの通勤・近郊形車両ということになりますが、その中で今年に入ってから地方へ遠征しつつも、まだ報告していないことがありますので、簡単にご報告したいと思います。

今年1月9日に主に辰野〜塩尻間に運転されている123系について述べましたが、その続きについて簡単に述べていきたいと思います。(117系の話題はまた後で)
1月10日のことになりますが、大阪周辺で活躍する103系や205系などをウォッチングしてみました。
まずはダイヤ改正の度に列車がなくなるのではないかと噂される奈良の103系による4+4両編成の大阪環状線への乗り入れ編成を撮影しておこうということで桜ノ宮で撮影してみましたが、この日は数少ないシールドビーム改造の編成が先頭に立ち、ラッキーなすべり出しでした。


しかも内回りには大阪環状線から関西線に乗り入れる車両とのツーショットも撮影できましたが、この日の関西線に乗り入れる03Mが残念ながら103系でなく201系でした。
今年3月のダイヤ改正後も奈良の103系による大阪環状線乗り入れと森ノ宮の103系及び201系による関西線乗り入れともに運行されており一安心といったところです。現在、奈良線で旧日根野のスカイブルーの103系が限定運用に充当されていますが、通常の運用に充当されれば大阪環状線や関西線でウグイスの4両+スカイブルー4両の混色編成を見ることができるのではないでしょうか。


続いて間もなく営業が終了する東海道緩行線205系を撮影したのち、関西線へと行ってみました。この日は103系が62Aに充当されていることがわかっていましたので、数少ない快速運用に充当されることから、その快速表示の姿とともに撮影してみようと待っていると、その表示は珍しくもただの「快速」だけでした。


最後におおさか東線へ行ってみると、これも行先表示が「団体」表示になっており、ただ故障していただけのようでしたが、普段はあまり見られない表示を目にすることができました。


2013年度から5年かけて、大阪環状線の駅美化、駅改良、車両新製などが計画されていることから、今後、新車が大阪環状線に投入され、従来の103系や201系が他路線に転出もしくは一部車両が廃車されることが予想されますが、実際にどのような動きが出てくるのか注目されています。103系は古い車両や状態の悪い車両が廃車され、201系サハの廃車や阪和線への転出なんていうことも想像しておりますが、今後の楽しみというか103系マニアにとっては逆に悲しくなるだけかもしれません。

115系王国の新潟へ

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本日も約1ヶ月前のことになりますが、18きっぷをフィリピンに行く前に消化せねばということで仕事を急いで終わらせ、3月31日夜「ムーンライトえちご」に乗車し、4月1日、2日と新潟、長野地区で活躍する115系を撮影することにしました。
新潟地区は長野地区とともに現在も115系が主たる形式ですが、今後、東海道線や東北・高崎線で活躍していた211系が新潟地区にも導入され、新型車両も導入が計画されているようですので、数年後にはこれらの形式によって115系が置き換えられることが予想されます。ですので、今のうちにバラエティ豊かな115系を追ってみることにしましたが、昨年夏に新潟に訪れた時と同様に私としての最大の獲物は湘南色の115系です。

新潟駅には夜も明けきらない5時前に到着し、湘南色の115系(L6編成とN2編成)を撮影したいがためにどの運用に充当されているのか確認することから始めるのですが、全くどの運用に入っているのかわかりません。まずは信越線上りで長岡へ戻るか越後線で吉田方面を目指すかいくつか選択肢はありましたが、何となく越後線で見ることができるのかと思い、越後線の始発列車に充当された弥彦線用の115系で吉田方面へ行ってみることにしました。吉田まで途中駅で湘南色の編成と擦れ違うことなく吉田駅に到着すると2番線にはN2編成の湘南色の信越線羽生田行きが滞泊していました。あまり労せず見つけることができ、しかも羽生田行きですので弥彦線経由で東三条まで行って、そこから信越線の羽生田以北でこの湘南色編成の羽生田折り返し列車の撮影が可能ということがわかりました。
とりあえずはあまりきれいには撮影できませんでしたが、代表する新新潟色と新潟色が並びましたので、3ショットを狙ってみました。


弥彦線に乗車し、東三条から新潟方面へと向かい、撮影する上で良い場所がないかと探していましたが、この日はいい天気にも恵まれ光線状態の良い場所がなかなか見つかりませんでした。結局、新津まで行ってしまい、そこから再び戻って光線状態の最も良い矢代田で撮影してみることにしました。時刻は既に9時を過ぎており、正面にあまり光があたっていませんが、新潟色とコンビを組んでいる姿を撮影することができました。


湘南色の撮影後は新潟に転属してきたばかりの長野色N27編成がもしや運用に就いているのではないかということで、列車の中から新潟車両センター内の様子を眺めてみると確かにその編成は確認できましたが、動く様子もないようですので諦めて白新線の佐々木へ行ってみることにしました。
この佐々木駅周辺は良い撮影地として知られていますが、私も一度は雪を冠った飯豊山地といっしょに撮影してみたいということで2時間あまりここで撮影していました。


その後、新潟へ戻り、昨年の夏と同様に越後線の信濃川橋梁で撮影してみることにしましたが、その前に153M(新潟14:35着)に弥彦線用の115系がいまだに充当されているのか確認してみましたが、下の写真のように現在もなお充当されており、珍しい存在となっています。


信濃川橋梁で午後3時から5時過ぎまで撮影していましたが、E127系もたまに通過するものの115系が主で、編成も3+3や2+4、塗装も新潟色と新新潟色による共演が見られました。ただ、残念ながらこの日まだ確認ができていなかったもう1本の湘南色L6編成は目にすることなく、この日の朝に撮影したやはり湘南色のN2編成は夕方からの運用において編成の先頭に出て撮影することは無理でした。


湘南色N2編成の翌日の運用はよくわかっていませんでしたが、編成の先頭に出て、しかも順光で撮影することは難しいのかと思い、信越線高田に泊まってみることにしました。
信越線直江津以南では主に長野色の115系が活躍しており、新潟の115系が妙高高原まで乗り入れているため、対向式の高田駅であれば長野色の115系と新潟地区の115系とのツーショットを朝の通勤時間帯に難なく撮影できるということで狙ってみましたが、最初の7時頃の並びは若干寝坊してしまい間に合わず、その後8時ちょっと前にある並びで撮影することができました。


上のようなシーンもあと何年見ることができるのかわかりませんが、今後も湘南色や新潟に転出した長野色の115系の動向にも注目し、貴重なシーンを追い求めていきたいと思っております。

115系王国の信州へ

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先日、新潟の115系について述べましたが、新潟地区と同様に甲信越地方も主に115系が活躍しており、113系や115系などの近郊形形式の好きな方にとっては堪りませんが、今年3月のダイヤ改正により211系が営業開始され、115系の活躍の場が今後少なくなることが予想されることから、これから少しでも記録を残しておくべき時期に来ているということで、3月のダイヤ改正前後に足を運んで参りました。

3月2日、ムーンライト信州で松本に到着すると篠ノ井線の霜取電車として有名になった湘南色のクモヤ143-52が2番線にスタンバイしており、今では鉄道雑誌でも紹介されることが多いことからなのかギャラリーも多く撮影しておりました。
この車両はもともとクモニ143から改造されたもので、あとで紹介する辰野線のクモハ123-1も同じクモニ143からされたものですが、こちらの車両はとりあえずのところ廃車になることはないようです。


夜が明けるのを待ってから、3月のダイヤ改正で引退するクモハ123-1を撮影するということで、塩尻の南東側に位置するΩカーブで狙うことにしました。やはりこちらはダイヤ改正により引退することが報道されていたこともあり、多くのギャラリーが集まっていました。MT57という独特のモーター音を山あいにこだまさせながら通過していきましたが、123系はダイヤ改正以後、小野田線や宇部線などで活躍するのみとなりました。


続いて長野の115系を撮影しようということで八ヶ岳と一緒に撮影できる長坂のカーブへ行ってみました。以前であればスカ色の115系も順光の時間にこの場所で撮影できたはずですが、最近(ダイヤ改正前後でも)ではこの良い時間に通過することはないようで、来るのは長野色の115系ばかりです。
下の写真は6両編成のC編成で、3月のダイヤ改正で大きな変化はないようですが、今後211系によって置き換わってしまうのか気になるところです。


新潟へ遠征した4月も長野、松本を通って帰ってきましたが、しなの鉄道ではダイヤ改正以後、JRから2両編成の115系が転入し、ワンマン列車を中心に使用されています。今のところ長野色のまま活躍しているようで、朝のラッシュ時においては3両編成のしなの鉄道カラーの115系と併結され、長野色+しなの鉄道カラーのコンビネーションが見られるようです。


南松本駅前にあるイイダヤ軒のそばを食べてみたいということで、115系の撮影と兼ねて寄ってみました。ダイヤ改正以後はE127系が篠ノ井線や茅野以北の中央東線などにも進出しているため、かつて115系で運転されていた列車がE127系によって運転されているようで、日中の篠ノ井線においてはほとんどがE127系に置き換わっているようです。


来年のダイヤ改正において、更に115系の活躍の場が少なくなることが予想されますし、JR東海の管轄である中央西線や飯田線への115系運用もいずれは置き換えられてしまいますので、今年、来年が勝負の年ということを念頭に置き、甲信越地方にも通い詰めたいと思っております。

南武線ウォッチングー稲城市内連続立体交差事業第2期区間進捗状況等

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このゴールデンウィークは時間が取れましたので、久々になってしまいましたが南武線ウォッチングを行ってきました。
まずは稲城市内で現在進められている第2期区間の連続立体交差事業の状況ですが、上り線を高架化させるための工事が進行中で、構造物自体や軌道敷の設置もほとんどの部分で完成しております。今後は架線や信号設備の設置、稲城長沼上り線用高架ホーム完成に向けて工事が行われるかと思いますが、工事は大詰めの段階に来ているような状況かと思われます。

下の写真は稲城長沼駅上り線用ホームの様子を撮影したもので、屋根の設置やホーム上設備の工事が行われている段階です。


立川方では上り線から下り中線へのポイントも設置され、下り中線から本線への部分においてかつてあったバラストも取り除かれています。


今後の予定として、公表されているスケジュールでは平成26年春頃に上り線を高架化(稲城長沼駅上り線は上り中線を使用)、27年春頃には稲城長沼駅2面4線化完成予定で、上り本線が使用可能になる予定ですが、実際の動きとしてはもう少し予定が早まりそうで、今年12月までに上り線の高架化が完成し、稲城長沼駅の2面4線化についても前倒し(平成26年内?)になるかと思われます。


現在、快速運転が川崎〜登戸間で実施されていますが、矢野口駅の川崎市側にある踏切において、快速列車と各駅列車では警報機が鳴りだす位置が異なりますので、稲城長沼駅の2面4線化が実現された以降に快速列車の運転区間が登戸から稲城長沼に延長されることも予想されます。その際には今後の利用状況に応じて快速の停車駅も決定するかと思われますが、京王相模原線との乗換駅であり、かつ乗降客数の多い稲田堤が快速停車駅になるのではないかと想像しています。また、快速列車運転区間の延長に伴い、快速列車と各駅列車の緩急の接続を武蔵中原もしくは他の駅で実施するのかどうかも気になるところです。

下の写真は大丸踏切より南多摩駅を撮影しましたが、北側の風除けもほとんど完成しているようです。


下の写真は元々富士通のあったところから撮影したもので、ちょうど高架区間の終わる取り付け部分となりますが、南武線を撮影する上では今のところ適した場所です。


最後に上記の連続立体化のこととは関係ありませんが、中原区の209系全車に対して更新工事を行うとJR側は公表しておりますが、南武線生え抜きのナハ32編成は快速列車の運転が実施される前に行先表示がLEDに変更されたものの更新工事がいまだに実施されず、今後、更新工事を行うことになるのか、それとも廃車になってしまうのか、今後の動きに注目しております。





去就が注目される埼京線205系の行方は

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東北新幹線建設の見返りとして建設された埼京線(赤羽〜大宮間)は1985年に開業し、同時に赤羽線に乗り入れが実施されましたが、開業してから月日が経つのも早く30年近くを迎えようとしております。車両自体も開業当初は山手線への205系投入によってウグイス色の103系がそのまま使用されていたものの、当路線にも205系が1989年から投入され、翌年には全車が205系に置き換わりましたが、その205系も20年以上経過し、いよいよE233系によって置き換える時期に来ております。

下の写真は山手線からウグイス色のまま埼京線に転出された103系で、開業当初、103系の電動機から発生するモーター音が沿線住民の問題として取り上げられることが多いようでしたが、このような問題からかどうかわかりませんが僅か5年ほどで205系化されてしまい、同じウグイス色が使用されていた横浜線も埼京線よりも一足先に205系化が実施され、この時期から急速にウグイスの103系が激減してしまいました。山手線のウグイス色の103系こそが私の鉄道趣味を開花させた原点であり、ウグイス色好きな私にとって残念なことでありましたが、幸いにも川越線・八高線で103系が長く活躍し、関西線においては黄色帯の警戒色がなくなるなどある程度ウグイスの103系で楽しませていただきました。


話しは飛びますが、1989年から投入された埼京線の205系も南武線や横浜線よりも先にE233系によって置き換えられることになり、そのE233系もすでに4編成が出場しているようですが、来月から営業開始される予定で、来年の1月にはE233系への置き換えが完了するようです。全部で31編成が製造される予定のようですので、置き換えのペースは私鉄の会社では考えられないほど早いペースであり、今から撮影しておかないと205系と巡り会うチャンスが少なくなるということで撮影してみました。


また、この埼京線の205系の去就が注目されていると思いますが、私自身も今後の行方を把握しておらず、噂されているように高崎の107系置き換えとして使用されるのか、はたまた他のローカル線用として使用されるのか注目されていますが、今後、それらについては時期を追っていくことによって解明されるのではないかと思いますので、今後のお楽しみということで動向に注目しております。

みどりの山手線50周年

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前回は埼京線の車両の話題について簡単に述べましたが、ウグイス色続きということで、ウグイス色の103系が山手線に登場したのが1963年(昭和38年)ですが、今年でちょうど50周年を迎え、それを記念してか山手線で使用されているE231系1編成を103系のようにウグイス色にラッピングされ運行されています。山手線のラインカラーをウグイス色として採用されたのは1963年に登場した103系からで、それまでは総武線などでおなじみのカナリア色が山手線のラインカラーであり、それらは101系で採用されていましたが、のちに中央・総武緩行線へ転出され、山手線にはこのウグイスの103系が大量に投入され、それ以来ウグイス色が山手線のカラーとして定着しています。
私自身も山手線に103系が投入された時期に生まれ、この103系を見ながら幼少時代を過ごしましたが、のちに京浜東北線とともにATC化されることになり、今まで投入開始の頃から使用されたいた低運転台の先頭車は大阪や東京近郊の路線などに転出し、新たにATC準備車の高運転台の車両が山手線などに配備され、子供ながらフェイスの格好良さに感動したものです。前回も申しましたようにウグイス色の103系こそが私の鉄道趣味を開花させたものと思っておりますが、私が小学生の頃、大人になったら山手線の運転士になってみたいと憧れていたものの、高校生の頃に通い詰めていた中原区の運転士から必ず人身事故は1度は経験するからねという言葉を聞いて、すんなりと運転士になることを諦めてしまいました。しかしながら車両自体は今でも103系好きが続いており、かつウグイス色が一番のお気に入りで、山手線以外で横浜線のウグイス色103系や南武線などでのウグイス+カナリア混色編成の思い出は今でも忘れられません。

下の写真は国鉄末期の1985年頃に撮影したもので、この頃から205系が山手線に投入され、103系が他線区に転出されました。


時々、山手線を利用するもののなぜかウグイス色にラッピングされたトウ545編成を見る機会が少なかったのですが、つい10日前ほど初めて撮影と乗車することができました。
今年の12月28日まで、このウグイス色の姿で活躍するそうで、その間このイベントに関連するグッズの販売や催し物も今後あるかと思いますので期待しておりますが、同様に京浜東北線においても現在使用されているE233系をスカイブルーにラッピングして”みずいろの京浜東北線50周年”というイベントを再来年にでも行ってもらえるのではないかと期待しております。


吊革のストラップ部分には山手線の103系の写真が掲出され、当時の思い出がよみがえってきます。
写真は山手電車区と書かれていますが、山手電車区に名称変更された1985年は既にATC化されており、写真は103系の低運ですので、正確には品川電車区とすべきでしょうかね。

去り行く国鉄型を追って(北関東編)

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およそ2ヶ月前のダイヤ改正前後のこよになりますが、日光線で今まで活躍していた107系がダイヤ改正を機に引退し、代わりに京葉線で活躍していたメルヘン顔の205系が使用されるということになり、18きっぷを使って撮影に行ってみることにしました。
107系が国鉄型かというといささか問題はありますが、国鉄からJRに民営化されて間もない頃に急行形の165系の廃車部品を使用して誕生した形式であり、105系や119系のように1M方式が採用され、2両、4両、6両と旅客需要にあわせて柔軟に編成を組むことができ、北関東の日光線や群馬のローカル線などで活躍してきました。
しかしながら、1988年の登場から今年で25年目を迎える日光線用の107系も老朽化しているのか、E233系の投入によって余剰となった京葉線のメルヘン顔の205系が日光線用の新たな車両として抜擢され、トイレの設置、パンタのシングルアーム化(霜取りパンタの増設)、ドアの半自動化と開閉ボタンの設置などが行われ、車両番号も新たに600番台に変更されて使用されることになりました。

下の写真は最長6両で活躍する107系で、「ありがとう107系」と前面にステッカーが貼られ、113系や115系などでおなじみのMT54のサウンドも悲しいような響きに感じられました。


ダイヤ改正の3月16日から31日まで1編成のみヘッドマークを付けた車両が運転されることから、もう1度行ってみることにしました。ダイヤ改正の初日から宇都宮線用の湘南色205系が運用に入っていたようですが、私が訪れた日は残念ながら全て日光線カラーが運用に充当されていました。


今後は宇都宮線の黒磯ローカルで活躍している211系も湘南色の205系600番台によって置き換えられるものと思われますが、こちらの必要本数は8編成であり、鉄道雑誌などでもありますように2編成分、どの車両を種車として改造されるのか明らかにされておらず、武蔵野線用のメルヘン顔の車両からとなるのか、それとも埼京線からの車両となるのかなど、今後の動向に注目されています。

日光線の撮影のあとは、群馬のローカル線で活躍する115系や107系を追ってみました。
小山から両毛線に乗り換え、伊勢崎の先の駒形に寄り道してみることにしました。
ここの区間であれば列車の運転間隔はおおよそ30分に1本であり、115系や107系、211系も適度な割合で運転されているため、万遍なく各形式を撮影できます。


湘南色好きの私にとって、高崎の115系はできるだけオリジナルの姿を保ち続けているため、両毛線以外の信越線や上越線、吾妻線でも撮影してみたいのですが、日中においてはおおよそ1時間に1本しか運転されておらず、週末ともなるとSLやDLのレトロ列車も運転されていますので、115系などの電車しか興味のない私にとっては撮影しづらいところでもあります。

下の写真は上越線渋川〜敷島間にある利根川の橋梁でありますが、SLの通過する約20分前には高価なカメラとレンズを持ったギャラリーが集まり、肩身が狭く感じてしまいます。
とは言うものの、この群馬のローカル線で活躍する115系や107系もそろそろ置き換えの時期に来ているのではないかと思いますので、この地にもできるだけ足を運びたいものです。


イベントに引っ張りだこの115系M40編成

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先日は群馬のローカル線で活躍する湘南色の115系の話題を取り上げましたので、湘南色と同様に国鉄時代から定着しているスカ色の115系の話題について述べてみたいと思います。
スカ色の115系はMc M' T'cの3両編成が豊田に配属され、中央東線、立川〜小淵沢間と富士急行、大月〜河口湖間で活躍していますが、1編成のみMc M' T M M' T'cの6両編成も配属されており、稀に通常の運用に充当されることもあるようですが、何かとイベント等の列車に充当されることが多いM40編成の最近の動向について見ていきたいと思います。

昨年の秋からの動きを見てみると、昨年10月20日、21日に「なつかしの115系かいじ号」が新宿〜甲府間に運行されました。復路は南武線、武蔵野貨物線、新鶴見信号所、山手貨物線を経由しましたが、この区間の走行は夕方であることから、ほぼ走行写真の撮影は無理でした。私も本来であれば南武線内での撮影や南武線205系や209系との並びも狙いたいところですが、無理ということで無難に立川駅で撮影してみました。


続いて、昨年の11月10日、17日、23日、24日に快速「むさしの奥多摩号」が大宮〜奥多摩間で運行されました。昨年の夏季においては高崎の115系湘南色4連が使用されていましたが、M40編成に変更されたもののヘッドマークは取り付けられていました。


そして、ごく最近の動きとして、今年のゴールデンウィークも快速「むさしの奥多摩号」がこのM40編成によって運行されましたが、今まで掲示されていたヘッドークは取り付けられませんでした。


今月19日のことになりますが、団体列車「115系満喫の旅号」が東所沢〜武蔵五日市〜立川〜高麗川〜拝島〜奥多摩〜東所沢という経路で運行されました。こちらも残念ながらヘッドマークは取り付けられませんでしたが、五日市線や八高線、青梅線にも入線するということで、スクーターで追っかけてみました。
武蔵五日市近くで撮影したのち、狭山茶で有名な金子付近に広がるお茶畑といっしょに撮影してみました。


続いて、金子から青梅と宮ノ平の有名な撮影地に行ってみましたが、ヘッドマークが取り付けられていないせいか、ギャラリーの方々は数えるほどでした。


上記以外に今年1月26日と2月9日に新習志野〜川越間で運転された快速「おさんぽ川越号」が運転されていますが、今年に入ってからこれらのイベント列車にはヘッドマークが付けられておらず、今後、7月から9月にかけて南越谷〜鎌倉間で快速「ホリデー快速鎌倉号」が115系によって再度運行されますが、果たして従来使用されていたヘッドマークが使用されるのか注目しております。

103系投入当初の頃の南武線Part4

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本日は久しぶりに南武線の103系投入当初の思い出について述べていきたいと思います。
103系投入当初の頃の思い出については今から6年前にいろいろと述べましたので、詳しいことについては過去の記事をご覧いただければと思いますが、南武線に初めて103系が投入された当時は私はまだ高校生であり、南武線を利用して学校へ通っておりました。101系オンリーだった南武線において103系は電動機やコンプレッサー、ブレーキの緩解などあらゆる面で私にとって新鮮であり、かつ衝撃的な出来事でしたので、できるだけ103系に乗車するように心がけておりました。
103系が南武線に投入されることを知ったのは、103系が投入される前の昭和57年5月だったと思いますが、豊田区からオレンジ色でそのまま転入されるのであろうと思っていたところ、最初の1編成はカナリアに色替えの上転入するとは思ってもいませんでした。当時、鹿島田から登戸まで南武線に乗車し、中原電車区の様子を見ながら通っていましたが、6月12日頃かと思いますがカナリア色のT'c526の1両が車庫の南側の留置線にポツンと留置され、行先表示が「奥多摩」を表示していたかと思いますが、私にとっては衝撃的なシーンでありました。その後、残りの5両もカナリア色で転入し、1編成が組成できるような状態になりましたが、6両貫通編成ではなく3+3編成で登場することになりました。
6両が揃ったところで、あとは営業につく段階となった時、どうしても初の営業に乗車してみたいと思い、中原区に尋ねて教えていただきました。
それは今でも忘れられない7月23日の1740デからですが、この41運用は武蔵中原→川崎→登戸→回送→宿河原(夜間滞泊)と短い運用とわかっていたものの、やはり103系好きにとっては絶対乗るべきということで、武蔵中原駅に出区の数分前にホームで予め待ち続けていると真新しいカナリアの103系が入線しました。私は川崎寄り2両目のM'260に乗車し、川崎で折り返したのち、そのまま登戸まで乗車し、初の103系乗車を堪能しました。

下の写真は初の営業運転を終え、宿河原へ回送される前のシーンで、編成はMc121 M'260 T'c526 Mc57 M'157 T'c528です。
最初の編成の電動機は全てMT55(低音)でしたが、川崎寄りのMM'ユニットと立川寄りのMM'ユニットで音が異なり、立川方のほうが若干高い音であったことを記憶しています。(明らかにMT55Aではない)


ここで、南武線103系第1陣の車両番号と転入日を下記のようにまとめました。
昭和57年6月11日 T'c526(カナリア)
昭和57年6月16日 Mc121 M'260(カナリア)
昭和57年7月6日 Mc57 M'157(カナリア)
昭和57年7月17日 T'c528(カナリア)
昭和57年7月31日 T142(カナリア)
昭和57年8月11日 Mc69 M'177 T760 M167 M'314 T'c525(オレンジ)
昭和57年8月17日 Mc46 M'142(オレンジ)
昭和57年8月21日 Mc54 M'153 T168 M'149 M'280 T'c582(オレンジ)
昭和57年8月28日 T771(カナリア)
昭和57年10月14日 M749 M'2006 T770(オレンジ)
昭和57年11月9日 M165 M'310(オレンジ)
昭和57年12月14日 Mc42 M'135 T211 M93 M'132 T'c608(オレンジ)
昭和57年12月17日 T759(カナリア)
昭和57年12月26日 Mc55 M'154 T761 M170 M'325 T'c507(オレンジ)
昭和57年12月28日 Mc11 M'84(カナリア)
昭和58年1月7日 T767(カナリア)
昭和58年1月19日 Mc53 M'152 T'c523 T'c614(オレンジ)
昭和58年2月1日 Mc59 M'160 T'c513 M103 M'164 T'c576(オレンジ)
昭和58年2月23日 Mc58 M'158 T766 M142 M'267 T'c515(オレンジ)
昭和58年3月1日 Mc84 M'200 T'c539 Mc56 M'156 T'c510(オレンジ)
昭和58年3月23日 Mc85 M'201 T210 M96 M'141 T'c509(オレンジ)
以上71両が豊田区から中原区に転入しました。

オレンジ色のMc69〜の編成が2本目として営業に就き、同じくオレンジ色のMc54〜の編成が3本目として営業に就きましたが、私はこの3本目の編成がお気に入りであり、昭和58年10月まで長きに渡り車両の差し替えがなくオレンジ1色で維持し続けました。


豊田区から中原区に転入する103系は大部分が3+7の編成からでしたが、昭和57年8月〜10月にかけて、10両貫通編成のうちの一部の車両が転入し、方向幕のないT770とT771(1次冷改)の異端児と当時、南武線では唯一のユニット窓で電動機がMT55AのM749 M'2006が転入しました。もちろん私はこのM749 M'2006のユニットがお気に入りであり、電動機と消音器の付いたコンプレッサーの音が好きでしたが、晩年の頃は松戸区に転出し、いつの間にか低音のMT55に換装され、車両番号と同じ2006年まで活躍し、常磐線さよなら103系としても活躍した車両でもあります。


103系投入当初の頃はオレンジ色同士の並びも珍しくなく、101系非冷房のオレンジ色との並びも見られましたが、残念ながら101系と103系のオレンジ色同士の並びは撮影しておりません。


以前にも述べたことがありますが、Mc85が転入してきた当時、なぜか山側の乗務員扉が黄色のものとなっており、中原区の職員に頼み込んで撮影させていただきました。営業に就いた時点では残念ながらオレンジ色の扉になっていました。


T'c608が最も最後にオレンジからカナリアに色替が行われ、昭和59年9月までカナリアとオレンジの混色編成が見られましたが、途中、昭和59年3月にT210とT211が松戸区と豊田区に転出する代わりに松戸区から非冷房のM319 M'475が中原区に転入し、その後、3色混色編成が見られました。


豊田区からの転入が一段落した昭和58年5月1日時点の編成表は以下のとおりです。
(一番左の数字は編成番号で、この当時は編成札は使用していません。)
1 Mc42 M'135 T767 Mc58 M7158 T'c523
3 Mc57 M'157 T211 M93 M'132 T'c608(T211 T'c608はオレンジ)
5 Mc56 M'156 T761 M170 M'325 T'c614(全車両オレンジ)
10 Mc11 M'84 T766 M142 M'267 T'c507(T766 M142 M'267はオレンジ)
12 Mc69 M'177 T760 M'167 M'314 T'c525(全車両オレンジ)
15 Mc84 M'200 T759 M103 M'164 T'c576(T759以外はオレンジ)
18 Mc54 M'153 T168 M149 M'280 T'c582(全車両オレンジ)
21 Mc121 M'260 T142 M165 M'310 T'c528(M165 M'310はオレンジ)
27 Mc85 M201 T210 M96 M'141 T'c515(T'c515以外はオレンジ)

その他(検査など)
Mc53 M'152 T'c509
Mc55 M'154 T'c510
Mc59 M'160 T'c513
T771 T'c539
(T'c513 T771以外はオレンジ)

本日は103系投入当初の頃の思い出や混色劇などを述べましたが、今後も南武線の車両に纏わる面白いエピソード、思い出などがありましたら、写真とともに公開していきたいと思っております。








尻手〜武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?

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稲城市内で実施されている第2期区間の矢野口(稲城大橋)〜府中本町(多摩川橋梁)間の上り線工事が大詰めを迎えていますが、朝のラッシュ時の1時間に方方向で24本の列車が運転されている川崎方においては、これ以上の増発は無理であり、かつ開かずの踏切が日常化している尻手〜武蔵小杉間の踏切では大きな問題となっています。
2000年頃から尻手〜武蔵小杉間の連続立体交差事業の基礎調査・検討が行われ、川崎市の都市計画マスタープランにおいてもこの区間の連続立体交差事業の記述が盛り込まれていますが、京急大師線の連続立体交差事業の進捗を見極めながらと記述されていることから、本格的な調査・検討があとまわしにされてきたようです。
しかしながら、今年3月策定の川崎市総合都市交通計画の中では、今後10年以内に事業を着手とすることが記述され、京急大師線の事業の進捗とは別に動くようで、来年度から2年かけて事業調査に取り組み、その後の3年程度で詳細調査を実施し、事業着手は早くても2019年度以降になる見込みとのことです。
この事業の対象区間は約5.5kmであり、駅は矢向、鹿島田、平間、向河原の4駅、踏切は13箇所で、このうち矢向第2、塚越、鹿島田、平間駅前踏切の4箇所は自動車交通の渋滞が顕著化しており、この13踏切の最大遮断時間の平均が40分で、最大が49分となっています。
また、この事業での構造形式は高架方式となるのか地下方式となるのか決定されておらず、検討段階のようですが、高架方式の場合はおおよそ700億円程度、地下方式の場合は高架方式の2倍の事業費が予想されますが、一部、南武線の西側に線路に沿う形で都市計画道路が整備されることやある程度のまとまった用地があることから、武蔵小杉〜武蔵溝ノ口(第3京浜)間の第1期区間と同じように仮線高架方式で事業が実施されるのではないかと予想されます。

ということで、この事業の実施までにはまだまだ長い時間がかかりますが、ちょっと興味がありましたので、この区間の沿線ウォッチングに行って参りました。
それでは川崎寄りから見ていきたいと思います。
矢向駅構内はご存知のように昭和35年まで車両の修繕などを行う電車区があり、中原に電車区が設置されたあとも電留線として機能しています。
以前でしたら川崎発この駅止まりの矢向行きや矢向始発の立川方面行きの列車もありましたが、現在では3番線(貨物1番)から立川方面へのポイントも撤去され、矢向始発川崎行きのみが旅客扱いし、川崎発矢向止まりは全て回送扱いとなります。


矢向駅の駅前広場には南武鉄道が開通したのを記念して記念樹がありますが、昭和20年の空襲により矢向駅周辺は焦土化したものの、3本の記念樹のうち楠だけが奇跡的に蘇生し、90年近くが経過する現在でも繁茂し続け、この駅や街の象徴として人々から愛着が寄せられています。


下の写真は鹿島田・新川崎地区にある新川崎三井ビルディングから矢向駅構内を眺めたものです。
私自身の矢向駅の昔の思い出ですが、昭和40年代は3番線に貨車と連結したDE10らしき機関車が止まっており、当時、多摩川近くの河原町団地南側にあった川崎河岸駅で貨物列車が止まっているのを府中街道を走る路線バスから見たことがありますが、この3番線(貨物1番)に止まっていた貨物列車はおそらく川崎河岸へ出入りしていた列車ではないかと思います。
また、ストライキの日に車両が日中でも留置されていましたので、旧型のクモハ73の500番台に乗り込んで、方向幕を回して普段は見れない青梅線の方向幕にして遊んだことも今となっては良い思い出になっております。


話しが昔話になってしまいましたが、この駅周辺において連続立体交差事業で懸念される点について述べますと、矢向駅構内は川崎市と横浜市の境界線上であり、かつ電留線が現在も使用されているということです。尻手駅から矢向駅までは横浜市域ですので、横浜市として連携し事業を実施することが最適であり、一昨年6月に川崎市と横浜市の両市域に関わる交通網について密接に連携協力しつつ、効率的かつ効果的に検討を進めるための覚え書きが交わされていますが、果たして横浜市が連携して事業を一体的に進められるのか懸念されます。電留線の扱いについてはJR側と協議し、矢向以外に車両を収容できる場所を新たに設けるのか、既存の収容能力を維持して矢向駅構内に電留線を設置した場合、行政側の負担が問題になるかと思われます。(さらに電留線施設内に川崎市と横浜市部分がありますので、負担割合の話し合いで時間がかかるかもしれません)
この他、尻手側には尻手短絡線と呼ばれる尻手〜新鶴見信号所間の単線の短絡線が、尻手第3踏切と日枝踏切において南武線と平行しており、この短絡線も含めて立体化を行う場合、構造的に問題が出てくることが予想されます。

次は鹿島田以北へと話しを進めていきたいところですが、どうも話しが長くなりそうですので、本日はこのへんで終了し、明日以降とさせていただきたいと思います。

尻手〜武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その2

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先日は尻手〜武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、矢向周辺における昔の出来事とともに、今後の懸念される点について述べましたが、本日は鹿島田周辺について述べていきたいと思います。

以前も述べたかもしれませんが、鹿島田は私にとって長年暮らしてきた街であり、約15年間住んでおりましたので、今まで住んできた街の中で最も愛着を持っております。私が暮らしていた昭和40年代から50年代の鹿島田駅周辺の街は、駅前を東西に走る「かしまだ駅前商店街」から南側は大規模な工場が立地し、南武線の東側に東芝タンガロイ、西側には日立精工があり、多くの労働者が鹿島田駅を利用し、賑わいもありました。現在は駐輪場などになっていますが、下り線ホームの西側には日立の体育館があり、たしかホームとその体育館の間に日立の工場へ導くための引込線の線路が存在し、その引込線から南武線の川崎方面へポイントで繋がっていましたが、私の記憶の中では残念ながら貨物列車や貨車の姿を一度も見たことがありません。

下の写真は鹿島田駅西側の駐輪場であり、現在の鹿島田駅は立派な橋上駅舎に生まれ変わり、かつてあった東芝タンガロイや日立の跡地は高層マンションやインテリジェントビルが乱立し、さすがに快速列車が停車するだけあって隣りの矢向や平間と比べ垢抜けています。


鹿島田駅周辺は川崎の副都心として位置づけられ、平成10年に5,0haにおよぶ市街地再開発事業を決定し、この鹿島田駅西側から新川崎駅東側の区域で整備が予定されていましたが、事業の見直し等により区域はほぼ都市計画道路古市場矢上線(鹿島田駅と新川崎駅を結ぶ道路)の南側約2.3haが開発されることになりました。
再来年の春には47階の住宅棟と商業施設等が入る生活利便施設棟が完成する予定で、同時に駅前広場の整備と駅からペデストリアンデッキも整備される予定です。

駅北側の南武線西側に沿う形で都市計画道矢向鹿島田線が一部整備されていますが、府中街道(国道409号)が交差する部分においては直近に川崎堀踏切が位置するため、鹿島田駅までの区間を開通させたとしても現状のままでは安全性が保たれないため、南武線の連続立体交差事業とともに一体的に整備されることが望まれますが、この道路が本格的に使用されるのは相当先のことではないかと想像しています。


府中街道には川崎駅と溝の口駅などを結ぶ東急バスが運行されていますが、朝のピーク時を中心に定時性運行に支障が出ていると思われます。特に臨港バスの川崎駅と元住吉駅などを結ぶ路線においては、矢向と鹿島田間にある塚越踏切の直近で曲がり、かつ鹿島田踏切を通過するため、定時性運行に相当な支障が出ているのではないかと想像し、先程、直接バス会社に問い合わせしてみたのですが、ダイヤにある程度余裕を持たせて運行させているが、多少の遅れがありますとのお返事でした。


以上、鹿島田周辺について述べましたが、現状で線路西側に都市計画道路が整備されることから、高架方式により事業を実施する場合、一時的にこの都市計画道路上に仮線を敷設して事業を進めることが最も合理的であると想像しておりますが、高架構造物と現在の橋上駅舎やペデストリアンデッキのクリアランスをどうするのか、線路東側においては日照権などの問題も発生するのではないかと思っています。

本日も話しが長くなりそうですので、明日以降、平間以北について述べていきたいと思います。




横浜線ウォッチング

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南武線の話題を中心に述べてまいりましたが、ここで一先ず休憩ということで本来の私の地元である横浜線をウォッチングしましたので、横浜線の近況報告ということで述べていきたいと思います。
と言っても、最近、特に大きな動きがあったわけではありませんが、ご存知のように埼京線にE233系が導入され、来年明け早々には置き換えが完了し、続いて横浜線用のE233系が投入されることから、今のうちに205系を撮影しておこうということで、スクーターで沿線をウロウロしました。

ウロウロと言っても私の地元である町田だけでなく、起点の東神奈川から終点の八王子までいい所ないかなあと撮影場所を探しながらなのですが、横浜線に何度も乗車していればそれなりに目星になる所もわかってきますので、そのような所を中心に撮影を楽しんでみました。
下の写真も横浜線に乗車していれば、何となく良さそうな場所であることはわかると思いますが、横浜線も南武線と同様に線形が似ていますので、何かと八王子方のTcを順光で撮影するチャンスは少ないですが、この季節、この場所ですとある程度綺麗に撮影することができます。


横浜線用の205系は5年前頃に私の好きな幕式からLED化されてしまい、非常に残念なのですが、しかも横浜線と行先表示が交互に表示されるため、行先表示を撮影したい私にとっては辛いところです。
下の写真の撮影地においても、やはり半分ぐらいは横浜線を表示していました。


続いて、最近の出来事ですが、先月から先週あたりぐらいまで修学旅行列車が運転されました。横浜線内は小机・中山〜八王子間で運転され、使用車両は田町の183系8連H81編成でした。


この他、休日に運転されている特急「はまかいじ」ですが、来月7月から6両化され、どうもサロが抜かれるようです。最近、田町に所属する185系は大宮に統合され、185系の動きや運用に注目されていますが、今後の動きについても、特急「はまかいじ」も含めて具体的にどのような動きがあるのか気になるところです。


本日は横浜線ウォッチングをお届けしましたが、次回は続きということで、南武線連続立体交差事業について述べていきたいと思います。

尻手〜武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その3

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お約束どおり先日の続きということで尻手〜武蔵小杉間で計画されている連続立体交差事業について、本日は平間周辺のことで述べていきたいと思います。
平間駅周辺は鹿島田駅と比べて大規模な工場が立地していなかったことから住宅が密集しており、駅周辺を中心に商店街が形成され、比較的庶民的な街であると言えるかと思います。今後においても駅周辺では市街地再開発事業や民間による大規模開発は予定されていないことから、連続立体交差事業を実施するにあたって高架方式を採用した場合は仮線の線路を敷設することは困難と予測されることから、おそらくかつての武蔵新城駅のようにこの駅周辺において直上高架方式による方法が最適なのではないかと予測されます。その場合、稲城市内の連立のようにグランドレベルから線路面の通常の高さ5.5〜6mよりもさらに高くなり、事業費の上昇、日照権などの問題も出てくるのでないかと予測されます。


平間駅の川崎寄りは府中街道の朱印橋交差点付近までは南武線の線路に沿って西側に都市計画道路矢向鹿島田線が整備されるため、南武線の仮線を敷設することが予想されますが、朱印橋交差点から北側は線路西側に都市計画道路はないため(府中街道自体が平間駅入口交差点付近まで都市計画道路)、平間駅付近においては直上高架方式により事業が行われる可能性があります。
下の写真は平間駅付近から川崎方面を臨みましたが、意外と知られていないことは南武線の中で直線部分が最も長く、鹿島田駅を越え、矢向駅直近までの2.3kmにおよびます。また、南武鉄道の建設当時の話しをしますと、南武鉄道の敷設工事を行っていた大正末期に鉄道省から一方的に新鶴見操車場を建設するという文章と図面が南武鉄道に送られ、南武線の路線変更を余儀なくされています。本来であれば鹿島田駅付近から府中街道の西側に直線的に沿って(ほぼ二ヶ領用水にも沿って)市ノ坪を通り、今井上町付近に抜けるようでしたが、鉄道省が示した新ルートに従い、ほぼそのルートの線形に近い形で線路が敷設されました。この他、当時、武蔵小杉駅付近において、東京横浜電鉄も工事の認可を受けて突貫工事で大正14年2月に開通させてしまいましたが、南武鉄道との交差部はかつての阪急西宮北口のような形で平面交差し、南武鉄道の工事車両と東横の車両が7ヶ月間に渡って行き交っていましたが、工事の認可をあとに取ったのは東横側でしたので、東横側が折れて高架橋を建設し、その費用は東横、南武、鉄道省の3者が分担したようです。
(これらの話しは多摩川新聞社の南武線物語、著者=五味洋治氏に書かれています)


話しが昔の話しに逸れてしまいましたので、平間駅周辺の話題に戻しますと、平間駅周辺の最も賑やかな通りは東西に走る県道大田神奈川線ですが、基本的に平間駅周辺においては都市計画道路として指定されているものの未整備の状態であり、歩道も部分によっては十分な幅員が確保されておりません。ですので、自動車交通と歩行者や自転車利用者が安全に行き来することが困難であり、早期の道路整備が望まれますが、将来的に新鶴見操車場にかかる御幸跨線橋と直線的に結ばれるものの府中街道との交差部において大きな高低差が生じるため、事業実効性を高めるルート等の検討が行われるようで、道路整備にはまだまだ時間がかかるかもしれません。


この他、平間駅前は駅前広場がなく、駐輪場スペースも狭小であり、これらを抜本的に確保するスペースはないことから、南武線の連続立体化によって、高架下にこれらの施設を整備できると思われます。


本日は平間駅周辺について、現状や昔話も交えて述べましたが、最後は向河原周辺について述べていく予定です。

尻手〜武蔵小杉間連続立体交差事業着手は早くても2019年度?-その4

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昨日の続きということで、本日は向河原周辺について述べ、尻手〜武蔵小杉間の連続立体交差事業等の話しは最後としたいと思います。
平間〜向河原間において、おおよそ矢向〜平間間のように線路に沿って都市計画道路はありませんが、線路の西側に三菱ふそうのグラウンドや橘高校、玉川中学付近においてはある程度のスペースがあることから、仮線を現線路の西側に敷設する方法が最も短時間でかつ事業費が安いのではないかと個人的に予測しております。
下の写真がちょうど玉川中学のあたりから撮影した写真で、線路西側にスペースがあります。以前はこのあたりに武蔵中丸子駅がありましたが、終戦間際の昭和20年4月の空襲で駅舎は焼失してしまい、いつの間にか廃止されてしまったものの、地元で駅の復活運動が行われましたが、駅間が短いなどの問題により結局復活しませんでした。


向河原駅周辺においても、かつてこの駅から新鶴見操車場の市ノ坪まで貨物線が昭和48年まで営業していたことから、向河原駅西側には貨物線用の線路がありましたが、現在では線路が撤去され、一部は駐輪場として使用されていますが、このような線路西側のスペースも仮線を敷設する上では有効であると思われます。
また、向河原駅前踏切付近から横須賀線交差部にかけてスロープ部分になると思われますが、線路西側一帯は日本電気が立地しているため、現線路に沿って仮線を敷設されることが予想されます。
下の写真が向河原駅前踏切から立川方を臨んだところで、今では数少ない南武鉄道時代の架線柱と東電中原線の特高圧線の門形鉄塔が残っています。南武鉄道の架線柱は現在も宿河原駅付近と登戸駅付近などに僅かに見られ、東電の門形鉄塔についてはかつて尻手〜武蔵新城(中原電車区付近)間で見られましたが、10年以上前に先程紹介させていただきました武蔵中丸子以南は残念ながら特高圧線が廃止されたため鉄塔の上部が撤去され、武蔵小杉以北も連立によりなくなりました。
また、昔話になりますが、この踏切の西側にある日本電気に引込線が南武線に沿ってあり、ワムなどの貨車が止まっていたのを今でも覚えています。


下の写真も数少ない東電の門形鉄塔であり、南武線の風景としては欠かせないものです。私が幼かった頃は霧雨が降るとこの鉄塔の碍子付近から「ジー」という音が聞こえ、何らか体に悪い影響を与えているのではないかとか思わぬことを考えており、とてもこの鉄塔が不気味に思え、早く撤去してもらえないものかと思っていました。


向河原駅舎入口の上部をよく見ると小さいながらステンドグラスがはめられています。書籍などにも紹介されていませんので駅員さんに尋ねてみたのですが、だいぶ前からあるようで厳密にいつという時期はわからないようです。


ということで昔話も交えて、尻手〜武蔵小杉間の連続立体交差事業に関連する話しもさせていただきましたが、早くて2019年度に都市計画決定というような状況であり、都市計画決定から完成までには少なくとも10年はかかるかと思いますので、今から20年後に完成するのではないかと私個人としては予測しております。
この事業について、今後の予定や計画について知りたい方は下記のウェブサイトをご覧いただければと思います。
http://www.city.kawasaki.jp/980/cmsfiles/contents/0000046/46723/250529machi2-1.pdf

185系、南武線に入線

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6月9日〜14日にかけて、185系、B7編成4連が中原区に貸し出され、乗務員訓練として南武線に入線しました。貸し出された編成はTc316 MM'232 T'c216で、編成の向きは逆向きで入線しました。
かつて、185系は南武線の府中本町〜立川間及び浜川崎線の尻手〜浜川崎間に入線したことがありますが、それ以外の南武線の区間においてはいまだに入線したことがないと思われ、中原区の入線も初めてのことになるかと思われます。


中原区に到着後、編成は武蔵新城寄りに留置されました。


10日〜13日にかけて、その185系が武蔵中原〜立川間において、乗務員訓練と思われる試運転が1往復実施されました。表示は「回送」ですが、「試運転」という表示がないために回送表示になっています。


また、185系が中原区に入線したためか、12、13日には10〜11時半という短い時間ながらミニ撮影会が実施され、185系はもちろんのこと中原区の205系も撮影することができました。
185系は「水上」や「草津」、「踊り子」、「はまかいじ」などあらゆる表示に設定していただき、今後見られるのかどうかわかりませんが「修学旅行」という表示にも設定していただきました。


この他、205系の先頭改造車である1200番台が留置されていましたので、まぼろしとも言える「快速ハイキング号川崎」をリクエストさせていただくと、ご親切にその表示に設定していただき撮影することができました。残念ながら南武線の生え抜きのほうの車両は留置されておらず、種別に「快速」、行先表示も「快速○○」ということまでは叶いませんでしたが、オリジナルの山手車において「快速稲城長沼」などのふだんは見れない表示も見られました。


今後、183系が185系に変更され、南武線の団体列車や修学旅行列車として使用されるのか動向が注目されますが、今まで使用されている183系の去就も気になるところです。
最後にこのようなミニ撮影会を実施していただいた中原電車区の皆様方に御礼を申し上げるとともに、今後も電車区の一般公開が定期的に実施されることを期待しております。

南武線ウォッチング

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またまたご無沙汰になってしまいましたが、先週末は時間が取れましたので、恒例の南武線ウォッチングを行い、稲城市内で進めれています連続立体交差事業の観察や南武線を撮影してみました。

まずは稲城市内の連続立体交差事業の様子ですが、南多摩駅では6月8日から通路が変更になり、仮通路から今後、本格的に使用される駅出入口側に通路が移設されました。
駅出入口の北側と南側はシャッターが閉まっていますが、上り線高架時にはおそらくこのシャッターが開けられ、南北方向に通行が可能になると思われます。


南多摩駅ホームの川崎寄りは下り線を撮影する上で良い撮影地でもありますが、立川寄りも川崎寄りほどではありませんが新たな府中街道のアーチ型の橋のオブジェと上り列車をいっしょに撮影する上で良いかもしれません。


続いて稲城長沼駅ですが、5月7日にお伝えした時に比べて着々とホームが整いつつあります。上り線の架線も部分的に張る工事も行われており、来月中には架線工事が終わってしまうのではないかと思いますが、信号設備などの工事も順次行われ、来年春の暫定完成予定が今年の12月に前倒しされる公式発表がそろそろあるのではないかと思われます。


6月に入り、南武線内を2本の臨時列車が運行されましたが、1本は485系華による快速「お座敷山梨さくらんぼ」号で、川崎〜竜王間(下りは甲府まで)に運転されました。ちなみに昨年は485系いろどり(彩)による運転でした。


また、南武線の立川〜府中本町間を経由する形で、青梅〜鎌倉間に大宮の183系による快速「鎌倉あじさい」号が運転されました。15、16、22日はこの列車の約10分後にやはり183系による団体列車が運行されたため、南武線沿線にはギャラリーの姿も多く見られました。


その他、沿線や駅で南武線の205系や209系も撮影してみましたが、上記の臨時快速列車を撮影するついでに多摩川橋梁でサイドを撮影してみました。譲渡されるのかどうか正式な発表がありませんので真相はわかりませんんが、KCJに譲渡されることも予想し、KCJのデザインを考えてみるために撮影してみたのですが、たまたま並走する武蔵野南線にEH200が擦れ違いました。


また、電車に揺られて矢向駅のエレベーター利用者用の通路から鹿島田方向を狙ってみました。この駅では休日において1分差で上下線の列車が擦れ違うことがあるため、上下線の並びを狙ってみましたが、なかなかそううまくいかず、良い並びは撮影できませんでした。


というようなことで簡単にレポートしましたが、今後も時間があるかぎり稲城市内の連続立体交差事業の観察や南武線の205系や209系の撮影にもより力を入れていきたいと思いますので、定期的にレポートしたいと思っております。
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